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原作『ノルウェイの森』、ワタナベと直子が歩いた土手はどこなのか?

原作『ノルウェイの森』、ワタナベと直子が歩いた土手はどこなのか?

千代田区側の土手と線路の間の木々

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 12月11日、映画『ノルウェイの森』が公開され再び脚光を浴びている村上春樹氏の原作。文中で主人公のワタナベと直子が再会し、一緒に歩いたとされる四ツ谷から市ケ谷、飯田橋へと続く道は一体どこなのか、原作『ノルウェイの森』の舞台を探った。

【特集】『ノルウェイの森』-原作の舞台を歩く(四ツ谷~市ケ谷~飯田橋)

 累計発行部数1,000万部を超える大ベストセラー『ノルウェイの森』。同小説内で登場する「ワタナベと直子が歩いた道」について、JRの線路のどちら側なのかファンの間でも解釈が2つに分かれている。

 四ツ谷から飯田橋へと続く線路や外堀は、新宿区と千代田区の区境となっている。解釈の1つは、線路の北西側、つまり新宿区側だとする説。もう1つは、線路の南東側、つまり千代田区側だとする説だ。以下、文中の表現を引用し現場状況を照らし合わせて考察してみる。

 中央線車内で偶然の再会をしたワタナベと直子が一緒に歩き出す最初の表現は、「僕と直子は四ツ谷駅で電車を降りて、線路わきの土手を市ケ谷の方に向けて歩いていた。」となっている。道の候補としては、新宿区側が外堀通りとその内側の外濠公園内の道の2本(外濠公園内の道は途中で外堀通りと合流)、千代田区側が雙葉学園向かいの文字通り土手の道の1本。外堀通りを「土手」とみなすかどうかも1つのポイントに。

 「鮮やかな緑色をした桜の葉が風に揺れ、太陽の光をきらきらと反射させていた。」という表現。実際の現場は桜の木の数では千代田区側が圧倒しているものの、両区とも外堀を臨むかたちで桜の木々が並んでいる。

 「並んでベンチに座った二人の修道尼だけがきちんと黒い冬の制服に身をまとっていて、……(以下略)」という表現。ベンチの数は圧倒的に千代田区側の道に多く、新宿区側には現在ほとんど見受けられない。修道尼については、既出の雙葉に加え、上智や白百合などミッション系学校が千代田区側に集中している事実はあるが、ここは決定打には及ばないであろう。

 2人が四ツ谷駅から歩き始めて15分以降に出てくる「彼女は水飲み場の前で立ち止まって、ほんのひとくちだけ水を飲み、ズボンのポケットから白いハンカチを出して口を拭いた。」という表現。千代田区側には、実際に数カ所確認できるが、新宿区側には確認できず。

 以上の現在の現場状況から、ほぼ千代田区側の道だと考えていいだろう。しかし1カ所ファンの解釈で意見が分かれる描写がある。「土手の向うに見えるテニス・コートでは若い男がシャツを脱いでショート・パンツ一枚になってラケットを振っていた。」という表現。

 現在新宿区側に「外濠公園総合グラウンドテニスコート」が存在する。「土手の向こうに見える」ということから、同テニスコートのすぐ横を通る新宿区側の「外濠公園内の道」は候補から外れる。同じく新宿区側の外堀通りから同テニスコートは「近くから見下ろすかたち」となり、表現として相応しいかどうか。一方の千代田区側の道からは距離があり、緑の葉が生い茂る間から「シャツを脱いでショート・パンツ一枚」のプレーヤーを確認できるかどうかがポイントに。実際に千代田区側の現場からは、木々の隙間からかろうじてテニスコートのプレーヤーを確認することができる。

 同書の初版は23年前の1987年。2人が歩いた時代設定はさらに以前の1968年前後。40年以上前の現場の風景は、木々の茂り方を含めて見通しなどは異なることが想像できるが、当編集部では千代田区側の道と決定づけたい。

 国内小説累計発行部数歴代1位の同書は、現在も記録を更新中。世界36言語で翻訳され、各国でコアなファン、いわゆる「ハルキスト」を生み出している。2人が歩くその後の表現は、「彼女は飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を超えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。そして都電の線路に沿って駒込まで歩いた。」となっている。ハルキストならずとも、一度原作『ノルウェイの森』の舞台を散策するのはいかがだろうか。

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