都心の「滝つぼ跡」に亀やスッポンの姿-四谷荒木町「策の池」

冬眠から覚め、水面から顔を出すスッポン。体長は70~80センチにもなり、地域住民からも「池の主」として親しまれている。

冬眠から覚め、水面から顔を出すスッポン。体長は70~80センチにもなり、地域住民からも「池の主」として親しまれている。

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 四谷・荒木町エリアにある「策の池(むちのいけ)」(新宿区荒木町)では、冬眠していた亀やスッポンが顔を出し始め、周辺住民らに癒しを提供している。

 江戸の古書「紫の一本(ひともと)」によると、徳川家康が鷹狩りの際、この付近にあった井戸水で策(むち)を洗ったことから「策の井戸」と名付けられ、豊富なわき水が高さ4メートルにもなる滝となり同池に注いでいたことから、「策の池」と呼ばれるようになったという。

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 「江戸八井」の1つとして愛された同池はその後、美濃国高須藩々主の松平摂津の守(まつだいらせっつのかみ)が拝領し、このエリアを上屋敷としたことで一時庶民から遠ざかるが、明治の廃藩置県により再び広く一般に開放され、「景勝地」として人気を博すことに。その人気から荒木町一帯には次々と料理屋や茶屋が軒を連ね、芸者衆が行き交う風情ある「花街」となった歴史がある。

 松平摂津の守の名から、当時の芸者衆は「津の守芸者」と呼ばれ、最盛期には200人を超えていたという。現在も同エリアに接する道路には「津の守(つのかみ)通り」の名が残っている。

 明治以降わき水が出なくなり「滝」は消滅。大きさを誇った池も小さくなったが、同エリアの特徴である「すり鉢状の底」に位置する同池の姿が、都心にあった「滝」やその「滝つぼ跡」であった昔の名残をわずかにとどめている。

 現在、鯉や亀が泳ぎ、「池の主」とも言われ全長70~80センチの大きなスッポンが棲みつく同池には、1本の高遠小彼岸桜が咲き、ランチタイムに休憩をするビジネスマンや、「遊び場」として楽しむ子どもたちの姿が見受けられ、周辺住民の大切な「憩いの場所」となっている。

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